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●離乳の準備:

離乳の準備として「果汁」を指導することがあります。その理由として「味に慣れる」という説明を聞きます。一見正当そうに聞こえますが、どうもその説明が妥当だとは思えません。乳児期早期に果汁を与えるのは、ビタミンCが不足しがちだった大昔のなごりとしか考えられません。今日の人工乳はビタミンCも充分添加されており、果汁は鉄欠乏の予防の観点からはその役割は終えています。また、甘味という観点からは、母乳に含まれている乳糖の淡い甘みと同じにするには、一般の果汁を6倍に薄める必要があります。甘い果汁を「ほかの味に慣れさせる」という名目であたえ、その後の離乳食の指導は「薄味で」というのは矛盾しています。天然の果汁をしぼって薄めて甘みの薄くしたものであっても、それを離乳の準備として最初に選択する理由がみつかりません。

 「湯冷まし」についても「お風呂上がりに水分補給であたえる」という指導も「?」です。母乳・育児用ミルクが共に約88%が水分である点からみて、授乳が充分でおしっこもいっぱいおむつに出ているお子さんに、さらに「水分補給の目的で」湯冷ましを与える理由は見つかりません。米国小児科学会では1997年に母乳育児のための勧告を次のように記しています「生後6ヵ月までは、水・果汁・その他の食物は与える必要性は見当たらない」


●離乳の開始時期


国内では早期離乳(3〜4ヵ月から離乳の準備、果汁を始めましょう?とうような指導)が勧められた時期もありましたが、最近は「5ヵ月以降から」あたりが相場です。前述の米国小児科学会は6ヵ月以降をすすめています。私は、児が欲し始める頃に合わせればよいと考えています。そこで母子手帳の4ヵ月健診の離乳の欄はいっさい記入しないことにしています。開始の時期は、児の発達に伴う行動の変化によって決めればよいでしょう。乳児は4〜5ヵ月で目・手・口の協調運動が始まり、5〜6ヵ月で手を出して物を取るようになります。この時期になると大人の食べものに興味を示し始め、さらに手を出して食べようとします。まさにこの時期が母乳・ミルク以外の固形物を食べはじめる時なのです。離乳食の回数・内容も同様に児のペースに合わせればよいわけで、何かのマニュアルに合わせて欲しがる児を我慢させたり嫌がって受け付けない(舌出し反応をする)のに無理にすすめる必要もない でしょう。


●フォローアップミルク


結論からいいますと、離乳が順調に進んでいる子にフォローアップミルクは全く必要ありません。そもそもフォローアップミルクとは、何らかの理由で離乳が順調に行かない児の補助食品として開発されたものです。9ヵ月になったら普通のミルクからフォローアップに「変更しないといけない」などというのは間違いです。育児用ミルクとはまったく別のもので、牛乳と同様に蛋白質をはじめ多くの栄養素が多すぎ、かえって離乳のさまたげになることもあります。母乳なり普通の育児用ミルクで離乳を終了させてあげましょう。では、今日の「フォローアップミルクの使い道は?」といいますと、「離乳が完了した後(1歳〜3歳程度まで)の牛乳の代替品」としての存在理由はあると思います。


●牛乳


牛乳が離乳の時期に必須であるという意見がありますが、私はその必要性はないと思います。改定された「離乳の基本」では牛乳は1歳前には与えないことになりました。母乳に比べて蛋白が多く乳児の負担になると同時に離乳の遅れを招く可能性があります。またカルシウムが多いことは一見良くみえますが、これは鉄の吸収をさまたげます。離乳期でも1歳以降でも、牛乳に栄養を頼るようになる(牛乳を水代わりに飲む行為、「牛乳を沢山飲む子は大きくなる」といった迷信!)と、たちまち鉄欠乏性貧血に陥ります。離乳期〜幼児期の鉄の不足は、貧血に陥らない程度でも(顔色などでわからない程度の鉄欠乏状態でも)、3ヵ月以上続くと精神運動発達の遅れをきたす可能性があります。離乳食の調理にも牛乳・乳製品を用いるかわりに育児用ミルクを使用するなどの工夫が必要です。アレルギーの問題もあり乳児期は与えるべきではないとおもいます。蛇足かもしれませんが、人間が人間の母乳を止めてまで牛乳(牛の乳)を飲むことが理解できません。


●味付け


味付けは各国の食事情で異なりますが、前述の離乳の基本では「薄味」をすすめています。乳幼児期に食べたものの味覚がその後の人生に影響することはよく知られていますし、動物実験でも証明されています。「味なし、塩味、醤油味、みそ味」の順番をすすめている指導者もいます。塩味と甘味をおさえた味付けで、関西風のあっさりした味の付け方が推奨されます。うま味は必要ですが「だしの素」ではなく天然のだし(うま味)を使いましょう。


◆真に乳児のためになる離乳食とは押し付けるものではありません。

食文化は各国で異なり、その国の文化にそった経験的なもの、独自の方法があることは確かですし、それを頭から否定するわけではありません。しかし、人類(ホモサピエンス)として共通の、必須な要素(是非必要である、なくてはならないもの)や、やってはならないことがあるはずです。

現在の離乳指導においては、その指導が真に乳児のためになっているかを点検すべきでしょう。